徒然草

還暦過ぎのおっさんの独り言

徒然草 ~ 看取り ~

緩和ケアや老人ホーム。

穏やかに、人生と言う航海を終える施設。

荒波や嵐、無風、潮流、穏やかな凪の海等など色々な経験を積んで辿り着く港。

そこで働く方も、様々な終焉を見た事だろう。

どんな悪党でも善人でも、亡くなれば仏。

あの世への旅立ちへの身繕いをしてあげる。

それは「業務」としてなのか「人としての礼儀」なのかは分からないけれど…

 

さて、コレが自分の大切な人、家族だったら…

どんな気持ちになるんだろうか?

前にも書いたけど「一日でも長く生きて!」も正解なのかもしれないし、単に残る者のワガママなのかも知れない。

管に繋がれ、自らの意思表示も出来ず、単に心臓が動いているだけの「当事者」は一日でも長く生きたい!と思うだろうか?

そして何より、それを送り出す立場の人間の感情は

主観なのか客観なのかによって違うんだろうな?と思う。

他人の死は「客観」だけれど、身内の死は「主観」になってしまうんだろうな。

でも他人から見たら、アナタの身内の死も「客観」のひとつだと思う。

 

最近、自分の母親や知人の親が弱っていく様や

仕事で人の死に関する話しを聞く中で、考えさせられる事が多い。

老いて弱りながら死にゆく者への接し方がわからない。