緩和ケアや老人ホーム。
穏やかに、人生と言う航海を終える施設。
荒波や嵐、無風、潮流、穏やかな凪の海等など色々な経験を積んで辿り着く港。
そこで働く方も、様々な終焉を見た事だろう。
どんな悪党でも善人でも、亡くなれば仏。
あの世への旅立ちへの身繕いをしてあげる。
それは「業務」としてなのか「人としての礼儀」なのかは分からないけれど…
さて、コレが自分の大切な人、家族だったら…
どんな気持ちになるんだろうか?
前にも書いたけど「一日でも長く生きて!」も正解なのかもしれないし、単に残る者のワガママなのかも知れない。
管に繋がれ、自らの意思表示も出来ず、単に心臓が動いているだけの「当事者」は一日でも長く生きたい!と思うだろうか?
そして何より、それを送り出す立場の人間の感情は
主観なのか客観なのかによって違うんだろうな?と思う。
他人の死は「客観」だけれど、身内の死は「主観」になってしまうんだろうな。
でも他人から見たら、アナタの身内の死も「客観」のひとつだと思う。
最近、自分の母親や知人の親が弱っていく様や
仕事で人の死に関する話しを聞く中で、考えさせられる事が多い。
老いて弱りながら死にゆく者への接し方がわからない。